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第14回企画展示 さむかわの道
(会期:平成25年3月9日〜25年8月31日)


展示風景
展示風景
 人の移動や物資の輸送など、私たちの生活は道路と密接に関わってきました。
 今回の展示では、古代の東海道から現代のさがみ縦貫道路(圏央道)まで、寒川の人々と道路との関わりについて、さまざまな角度からたくさんの資料を用いてご紹介します。

1 古代の道

 古代の律令国家は、全国に七つの官道を整備しました。
 その一つである東海道が、寒川町内を通っていた可能性について触れました。

2 中世の道

 『曽我物語』には曽我兄弟が曽我の里の母親に別れを告げ、藍沢の狩場にいる源頼朝及び仇の工藤祐経の下へ向かう場面で「田村の大道」という道が登場します。  この田村の大道が、寒川町内を通っていた可能性について言及しました。

3 江戸時代の道

<田村通り大山道>
 田村通り大山道は、大山への参詣ついでに江の島や鎌倉を回る人々に、多く利用されました。また、この道は、参勤交代にも利用されました。
 道沿いの一之宮村は、参詣客で賑わう夏、宿屋や茶屋が建ち並び、田村の渡しは大山参詣の代表的な風景として有名でした。
渡場眺望図 田村の渡し(名著出版『新編相模国風土記稿』)
渡場眺望図 田村の渡し
(名著出版『新編相模国風土記稿』)
一之宮不動堂の大山道標
一之宮不動堂の
大山道標
<中原道>
 中原道は、江戸から平塚の中原へ至る道で、小杉と中原に御殿(将軍の休泊所)が設けられ、物資輸送にも利用された重要な道でした。
  この道は、一之宮から田村の渡しで相模川を渡って中原に至りますが、町内を通過するルートをめぐっては諸説あります。
天保9年 関東取締出役寄場出張につき触書(入沢章さん蔵)
明治6年(1873) 岡田・大蔵・小谷村絵図
(小谷 大久保俊明さん蔵)
<一之宮への道>
 寒川町内とその周辺には、「一之宮」と記された道標が数多くあります。「一之宮」は寒川町内の地名として、唯一道標に記されています。これらの道標とその分布について、地図や写真を用いて示しました。
中洲稲荷神社の庚申(宮山)左側面
中洲稲荷神社の庚申(宮山)左側面
正 面
正 面

4 近現代の道

 明治時代になると道路の管理は行政が行うようになり、主要度によって、国、都道府県、市町村がそれぞれ、整備・維持を担うようになりました。
 寒川の道路行政の変遷や、大きく変わった景観を、当時の行政文書や写真でご紹介しました。
昭和41年(1966)
 中原道と長屋門のある屋敷(大蔵)
(茅ヶ崎市 町田悦子さん蔵)
昭和41年(1966)  中原道と長屋門のある屋敷(大蔵)
(茅ヶ崎市 町田悦子さん蔵)

5 さがみ縦貫道路

 さがみ縦貫道路は、茅ヶ崎市西久保から相模原市緑区川尻を結ぶ自動車専用道路で、圏央道の一部をなしています。
 さがみ縦貫道路の概要と、平成25年4月14日供用開始の寒川南インターチェンジと寒川北インターチェンジについて、パネルや模型でご紹介しました。
さがみ縦貫道路
さがみ縦貫道路

展示ケース

 寒川の道路行政に関する文書を展示しました。
・明治22年(1889) 明治二十二年度寒川村歳出予算表 (寒川町蔵)
・大正10年(1921) 寒川停車場迄道路新設ノ件 (一之宮 入沢章さん蔵)
・大正11年(1922) 大正十年事務報告書 (一之宮 入沢章さん蔵)

 寒川停車場迄道路新設ノ件
 寒川停車場迄道路新設ノ件

大正十年事務報告
大正十年事務報告
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