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第27回企画展示  寒川の明治維新
 (会期:平成30年7月21日〜8月31日)
明治150年


 はじめに

 平成30年(2018)は、明治元年(1868)から数えて150年という節目の年にあたります。この前後の時期はまさに激動の時代といえます。約260年間存続した徳川幕府の瓦解、明治政府の誕生、そして明治政府による諸改革の実施、これら一連の出来事は明治維新と称されます。
  それでは明治維新は寒川の地にどのような影響を与えたのでしょうか。また、寒川に居住した人々は明治維新にどのような対応を示したのでしょうか。寒川町内に残された記録資料から、寒川の明治維新を紹介します。

会場風景
会場風景

 明治の世へ

 慶応3年(1867)11月14日に徳川慶喜は政権を朝廷に返上します。ここに約260年続いた徳川の治世は幕を下ろしました。そして同年12月 9日の王政復古の大号令により、明治政府が発足します。
 慶応4年3月15日、政府は五榜の掲示を高札場に掲げ、新政権の発足を民衆に示しました。

五榜の掲示 第二札
五榜の掲示 第二札(菊地彰良さん蔵)

 旗本の御一新

 徳川幕府が終焉を迎えたころ、寒川町域には、西大平藩のほか、 19の旗本領がありました。明治政府の発足により旗本たちはその領主権を失い、その後の身の振り方について選択を迫られました。
寒川の領主たちの御一新

寒川の大字

 神奈川県の誕生

 慶応4年(1868)3月19日、神奈川奉行所は明治政府に接収され、横浜裁判所となります。 同年4月20日に神奈川裁判所、同年6月17日に神奈川府と改称。そして同年9月21日に神奈川県と名称が変更されました。 県域も数度の変更がありました。現在の県域になったのは、明治26年(1893)に三多摩が東京府に移管された後となります。
 また、府県につらなる町村は、戸籍区や、それを再編した行政区などに組み込まれていきます。

戸長任命状
戸長任命状(入澤章さん蔵)

 土地制度の変革

 発足当初の明治政府は、年貢をその主な財源としていました。 年貢は、石高制に基づく物納が基本で、天候などにより税収が左右される不安定なものでした。 政府は、財政的な基盤を確立するために地租改正事業が実施されました。
地券
地券(入澤章さん蔵)

公図
公図(寒川町公文書)

 寒川神社の神仏分離

 明治政府は神道国教化政策を推進します。その一環として行われたのが神仏分離令です。寒川神社もこの施策を受け、 江戸時代以来の神社のあり方に変更を余儀なくされました。
寒川神社境内切図
寒川神社境内切図(寒川神社蔵)

国幣中社列格書
国幣中社列格書(寒川神社蔵)

  明治政府は新たな社格制度を設けました。これに全国の97の官社が指定。寒川神社は明治4年に国幣中社に指定されました。

 暮らしの中の変化

 明治維新期の諸改革は人々の生活にも影響を与えました。その一つに人々が営んだ商売があります。明治の世に一之宮村で営まれた商売から、その様相がうかがえます。
理髪所借受につき証文
理髪所借受につき証文(一之宮八幡大神蔵)

理髪所借受につき証文
旅籠・煮売・鮨鑑札番号之控
(一之宮八幡大神蔵)

 展示ケースの資料から

 明治3年11月に作成された傘連判状です。不統一であった年貢賦課方法を一律に賦課する平均割へと転換することを村内で議定しました。 該問題については村内でも異論があり、平均割にすることが難しかったことがうかがえます。 傘連判状とは、集団の意思の強さと責任の所在を分散させるために用いられた様式です。
傘連判状
傘連判状(三枝北斗さん蔵)

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